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「糸を分ける」展について、参加作家にインタビューしました

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Gallery COEXIST-TOKYOで開催中のグループ展「糸を分ける」について、参加作家の久村卓さん、山極満博さん、渡辺望さんにインタビューしました。

 

- 「糸を分ける」というタイトルについてご説明いただけますか?

 

山極: まず、「空間」を軸にした展覧会を設定するうえで、三者間の共有事項を探り出しました。そこから紡ぎだされた言葉というか要素が「紛れる」ってことでした。そのことばを解(ほぐ)し、解体する意味合いで「糸を分ける」というタイトルになりました。

 

- 「紛れる」の「紛」を篇(へん)と旁(つくり)に解体したということですね。三者の共通項が「紛れる」とは?

山極: そもそも作品とは空間の中にあって背景とは切り離せないものだという捉え方を三人はしていると思うんです。自分たちは、それを行為として実践したつもりです。

- 制作活動は「私」という個から始まるものですが、ここではそうではないのですね。

 

山極: ええ。空間に紛れて自分の所在を不透明にしたかったのです。自分を(「個」として世界と分けてしまうのではなく)未分化にする、プロセスの一部にしてしまう ――関係性の中に身を置くということを試みました。

 

ー 渡辺さんは、見えないものを視覚化する、あるいは聞こえないものを聴くといったことを扱われていますね。

渡辺: はい。事物を測ろうとすればするほど奥行きが生まれてしまうような現象に関心があります。目の前の事物を何らかに置き換えることで既存の空間をひろげていく。それは自分をプロセスの一部にしてしまうことに通じていると思います。

- この展覧会は、まず、作品が空間に派生して存在するということを考えて企画しました。そうすると作品が“オブジェクト“——隈研吾さんの言葉を借りると、周囲の環境から自立した、ひとつの独立した物体※——から離れ、空間の中に埋没していく。しかし、作品は最終的には、ものであれ、ドキュメントであれ”オブジェクト“に落とし込まれる宿命にあります。この展示の作品を作る上で、埋没=消失とオブジェクトであるということをどう捉えましたか?

 

山極: そもそもギャラリーという空間も、物であり、オブジェクトです。ホワイトキューブという構造を細分化していくと、床や壁、天井により構造化された物体ですし、それをグリッド化すると、柱という存在があることに気づきます。そう考えていくと、まるっきり「ない」なんてことはありえない。そういうところから、今回私たちは考え始めました。

 

久村: オブジェクトは「(知覚できる)もの」であると同時に「対象」も意味します。対象化するということは、知覚できる「もの」だけではなく、できないものも含んでいると思うのです。例えば、部屋の広さは寸法を測ったことがなくても、これまでの経験から「広い」「狭い」などと認識することができます。空間という「ない」とされているものに対して、身体が介在すると「ある」化する。そこに「もの」が配置されると今度は空間が「ない」化します。「あるようでない」「ないようである」ってこと、それ自体が、空間を現しているのではないでしょうか。

 

- なるほど。空間って繊細なものなのですね。

 

山極: 私たちは、「ある」と「ない」を同じ場に持ってくることでひとつの機能不全を生み出そうとしました。

 

- 今回、山極さんの作品にはバケツや雑巾が使われています。これは、通常会期中のオープン時間には表に出されないものです。ですから、これを見て「準備中ですか?」とよく聞かれます。

 

山極: 展示空間とバックヤードという表―裏の構造がギャラリーにはあります。バケツの作品は、「裏」を「表」に持ってくることで、機能不全――ある種の「ない」という状態を描き出し、ある一方から他方へスライドする世界を提示したかったのです。まぁ、この作品は、それだけではないのですが。

 

- つまり、ここではオブジェクトが流動化しているというある種の状況がここで生まれているのですね。そう伺うと展示がまた違って見えてきます。ありがとうございました。

※隈研吾「反オブジェクト 建築を溶かし、砕く」2009年 筑摩書房

 

(聞き手:島津こころ gallery COEXIST-TOKYO)