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伊佐治雄悟 「そういうテクノロジー」

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伊佐治雄悟(いさじ・ゆうご)は、多摩美術大学で彫刻を学んだ立体造形作家です。

ボールペン、シャンプーのボトル、ホッチキスの針やカッターの刃を使った彼の作品は私たちに、何気なく消費する日常品に別の一面があることを密やかに教えてくれます。ただひたすら消費し、不要になれば心持ち煩わしさを覚えながらゴミ箱へと放り込むホッチキスの針が、整然と並べられ、重ねられたとき、幾何学 的な構造物の様相を帯び、神聖なものにさえ感じられるのは「規格品」が持つ合理的、数学的美しさを無意識のうちに読み取っているからでしょうか。

その構造物はピラミッドのような正確さを持ち、しかし一方で砂の城のような儚さを感じさせます。
その辺にあるものと美術品の区別はどこにあるのか。人がどうやってものを見たら作品に見えるのか。
昨今は、ものそのものに価値がある – 例えば、材質が高価であるとか希少価値があるといった – のではなく、見方によってこそものの価値が決定されるのではないか。その文脈で、ものの価値や特徴を引き出すというのではなく、ものの見方をスライドさせ るという方法を取りたい。」

という伊佐治の言葉通り、彼の作品を前にして感じる美しさや思わず“くすっ”と笑ってしまう剽軽さは、ものを価値付けすることではなく、私たちがそういうものと信じてきたもののあり方をずらされることで生まれるのかもしれません。

今展では、新作を含めた約10点の立体作品を展示販売いたします。ぜひご高覧ください。


「無主物としての美術」 芸術人類学者 中島 智

伊佐治雄悟のうみだす作品は、一見するとC・レヴィ=ストロースが汎人類的造形原理としたブリコラージュ(転用、見立て)と見紛う。それは彼のうみだすオブジェのおおくが卑近な生活消費財/日用品を素材としているからである。しかし、そこでもともとの素材がもつ日常的な意味が脱色され、あらたに見立てられた意味が代わりに付与されているわけではない。つまりその制作プロセスにおいて伊佐治の手垢がオブジェに纏わりついていくわけではない。普通に考えれば、それはありえなさそうなことである。だがそんなことが起きているのである。
むしろ彼の作品においては、彼が丹念に手を加えれば加えるほどそれは手なずけられない存在、いわば無主物へと離脱してしまうのだ。では、意味も機能も物語も付与されないオブジェの彼岸性、その場所をささえているものとはいったい何か。それはイサジ・ユニットとしか呼びようのないものであろう。伊佐治雄悟は彼独自の単位(ユニット)を日用品に付与している。その魔術的なプロセスによって、ぼくらが見馴れているはずのレディメイドたちは、ぼくらにおもねない異界の、不在の、自律したオブジェ群(≒物自体)として立ちあらわれる。

さて、ここまで目を通した方のなかには「それはブリコラージュ(転用)されていないと云うが“作品”への転用/“作品”という物語の付与がなされているではないか」。あるいは「それを無主物化しつつささえている“イサジ・ユニット”とはいったい何か」といった疑問を抱くむきもあるかと思われる。それらはき わめて本質的な問いである。だがここでそれらについてくどくどしく述べようとは思わない。ぜひ伊佐治作品をご覧いただきたい。

 

「bottle」 プラスチック容器

 

「staple」ホッチキスの針、はんだ、ニッケルメッキ 18.5×16×8cm

 

会場風景