名倉達了(なぐら・たつのり)は1984 年生まれ。主として石を素材に制作し、これまでに彫刻作品、それらを用いたインスタレーション作品を発表してきました。 個展となる本展のテーマは、“見ること” であり、それは名倉自身の経験から来るものです。2011 年の原発事故以降、いわゆるホットスポットという場所で生活し、屋外での制作を余儀なくされていた名倉は、放射性物質への恐怖からそれに関する膨大な情報を漁ったと言います。その経験は「自身の身体的な能力をフル活用して、見えないものを見ようとする・認識しようとする・受け入れることの重要性を痛感」したものでした。そこで今回、震災から5 年が経った今、VR(仮想現実)からAR(拡張現実)へと“見ること” の多様化がさらに進んだ高度情報化社会において、“見るということ” を改めて捉え直すことを試みます。 硯匠の家に生まれた名倉は、近年、受け継がれる制硯の技術習得に取り組み、幼い頃から慣れ親しんだ硯が「見えないものを見ようとするための契機となるもの」であるという在り方を再認識します。硯は、文字を書くための道具という機能的目的だけではなく、そこに自然界を見る※見立ての対象とされ、芸術品として扱われてきました。そして、矩形である素材としての石に囲まれて育った経験から、見えないものを他者と共有する手段として「尺度」と「構造化」があると考えるに到ります。 「その後(作品に)直線や矩形を用いるようになりました。それは遥か昔の人類が有機的な自然のなかで、物事を見て認識するために発見したであろう最もシンプルな構造・基準であると同時に、現代においても世界を対象として浮かびあがらせ、空間的・思索的な余白を生み出す可能性があると自身の経験から考えるからです。」 今回の作品では、これまでの仕事を発展させ、建材の石と木を用いて次の展開を探ります。名倉は、これまでも尺度としての作品を成立させるために、生活を規定するスケールを持つものとして建材を用いて来ましたが、新たな試みとして、本来建物の内部に納められるために目にすることのない構造用合板の節や木目そのものに着目し、見えないものとの関係を築きます。 名倉の作品の持つシンプルな形は、謙虚さよりもむしろ、不穏な、落ち着かない印象を与えます。それは、作品がある種の過激さと、爆発力を内包しているからに違いありません。コンパネや垂木、石材タイルといった建材は、規格サイズという大量消費を助ける、資本主義社会に都合のよい形に押し込められ、歪められた不自然な自然です。それらにもう一度手を加えることで、思索的余白を持つ自由な形へと変化させるという皮肉めいた試みは、新たな視座を導きだすこととなるでしょう。 ※硯の、墨をする部分を陸、墨液をためる部分を海と呼ぶ。
画像(上から)
・「立ち上がる視座」 2016年 垂木、石 H103×W4×D258cm
・「Seven eyes」 2016年 構造用合板、石、塗料 H91×W91×D3.7cm
・「One thing」2016年 コンパネ、石 H90×W32.4×D32.4cm .11.12 sat- 12.25 sun